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:::mido :::

考える。心の中をぶつぶつと整理。思ったことや感じたことを、撮りだめ、書き留めていく場所、伝える場所。

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「平和の島連帯学習会」日本国憲法についてからいろいろ思うこと…

【2014年Eaphet韓国スタディーツアー】

「軍隊を持たないで、私たちは9条を守りつづける。だから韓国も軍隊をなくして、と言ってほしい。」…

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「平和の島連帯」という勉強会の中で、ブラザーソンさんは私たちに話した。カンジョン村の村会館で定期的に行われている学習会。今回のテーマは、日本国憲法憲法九条についてだった。ちょうど、集団的自衛権閣議決定がされたすぐあとだったので、その影響でこのテーマなのか?と思ったり、日本人がくることを知っていたのか?と思ったが、そうではなく単なる偶然だったそうだ。

今回の発表者は、日本語がとても上手で、農作業場掃除のときに、通訳をしながら一緒に仕事もしてくれたドンソクさんだ。まず、日本国憲法憲法9条の言葉の意味や様々な解釈、論説を韓国語で説明。その後、ちょうど会場に日本の人がいるのだから、意見やどう考えているのかぜひ聞きたいという流れになり、それぞれ自分の思っていること、考えていることを話した。

みんなそれぞれ、今回の閣議決定についての不満や不安な気持ちを話した。私自身、こんなにも大切なことをどんどん決めていく政府がとても怖い、そして、今回の集団的自衛権についての閣議決定には怒っているし反対である。だけど、それよりも、日本の人々へ恐怖を感じる。こんなにも大切で、重要なことなはずなのに、いつもと変わらない日々を過ごそうとする人々。デモへ行く人々に、あのデモのやり方やコールはよくないと批判する人々。人口で考えるとほんの少ししか集まっていないのに、とっても沢山集まった気分になっている人々。デモだけが全てではないけれど、デモや集会は私たちが「NO!」「おかしいよ!」と声を上げる権利を行使できる場所だ。そして、政府にはもちろん、社会、なにより、自分が参加していることを自分の周りに伝えることで、反対の声を広めていくことができる。そして、デモや集会の場で新たな人と人のつながりが出来上がることもあるのだ。私は、デモは、政府に訴えを伝えて物事をどうにかするという役割の他に、市民ひとり一人がつながっていく場所、意見を交換したり考え合ったりする問題の共有場所のような役割をもっていると思っている。

それでもやっぱり、なんだか違和感が溢れ続ける。いまの日本の雰囲気を私はインターネットや友人達の話し、ニュースや本でしか知ること、感じることはできないけれど、それらの中から感じる雰囲気では、人々は、お互いに気を使い合い、だれかを傷つけない様に、誰にも嫌われない様にと意見を言わない様にしたり、当たり障りのない言葉を使っている様に思う。「賛否両論あるから」とか「いろんな意見があるから…」という言葉がたくさん聞こえてくるけれど、確かにいろんな意見は存在する。だけど、そのフレーズが相手の意見を尊重しているように聞こえるかもしれないけれど、実際には、ただ単に、本来議論するべき場所を避けているだけのような気もする。対立する前に、「対立からはなにも生まれないよ」と意見の対立を避ける人々がたくさんいる。そうやって、市民同士で、分かれていっている間にどんどん大切なこと重要なことは一部の大きな力の人々に決められてしまっているように思える。そんな状態をどうするべきか?どうしていくべきか?もっともっと考えなければいけないと思うし、いろんな人と意見や考えを交換したり共有して行動にしていきたい。

少し話しがそれてしまったので、平和の島連帯学習会の話しに戻ろうと思う。ブラザーソンさんは、「もし、自分が日本人だったら、自分は憲法九条を守ろう!と率先して言えないかもしれない。」と語る。平和の為に、基地建設反対と活動しているのにどうしてだろうと思っていると彼はこういった。「韓国も台湾も中国も日本の隣国はどこも軍隊を持っている。自分たちは持っているのに、相手に対して、持つな。という風にいうのは矛盾ではないか。」それから、「アジアの平和、世界の平和を望んでいる。そして、平和の為に、みんなが持っているから軍隊もつのではなくて、私たちは、憲法9条を守るから、あなた達も武力を捨ててと言ってほしい。」と語った。

そのときは、彼の言葉やそれらの言葉がどういう回路で話されているのかということについて、あまり気にならなかったが、時間が経てば経つ程じわじわと気になり始める。「私たちは9条を守り続けるから、みんなも武力を放棄して!」という考え方はとてもいいし、そうであるべきだと思う。だけど、なんだか、「みんながもっているから」「自分たちも持っているから相手には言えない」「〜人として」「〜人だったら」それらの言葉がなんだか少しひっかかったままだ。だけどこうやって、いろんな人、いろんな年齢の人、いろんな国の人と一緒に何かを学んだり、考えて共有していくことはやっぱり楽しくて大事なことだなぁと思ったのでした。