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:::mido :::

考える。心の中をぶつぶつと整理。思ったことや感じたことを、撮りだめ、書き留めていく場所、伝える場所。

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蜜陽「私たちはまたはじめる」②

【2014年Eaphet韓国スタディーツアー】

 新しい抵抗小屋。建設現場は、すべて韓電に確保されてしまったけれど、その付近にハルモニハラボジたちは、新しい抵抗小屋を造った。私たちが、蜜陽を訪れた日は、ちょうどロウソク集会があるからかそれとも学生達も夏休みになったからか詳しくはよくわからないが、学生のグループが沢山来ていた。また、近隣地域からの支援者や新聞記者も私たちと同じようなルートで蜜陽のハルモニハラボジのところを訪れていた。

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新しい抵抗小屋の壁には、ハルモニハラボジたちの似顔絵が描いてある。台湾に帰ってきてから新聞記事で知ったことだが、これら抵抗小屋の絵は、画家、版画家、フォトグラファーなど芸術家たちが集まり、はじめた蜜陽ハルモニハラボジ応援の為の企画だそうだ。市民運動とアートの力は大きくつながっているのではないかと私は思っている。少し話しはそれてしまうが、台湾のひまわり学生運動の時もアートの力は大きな役割を果たしたように思える。立法院占拠期間中には、たくさんのステッカー、Tシャツ、タオル、ポスター、ハチマキなどが制作され、主題曲のようなものやドキュメンタリー映画まで制作された。また、市民がお金を出し合って、新聞広告の掲載も行われた。「抗議活動」というものが、「怖いもの」「反政府の何でも反対する人たち」という印象ではなく、どこかオシャレでいかしたものというような印象を与えた。また、視覚的なもので訴えることで、自分たちの訴えをストレートに受け手側に伝え、参加者・支持者の壁を低くしたのではないだろうか。もちろん、一番大切なのはその訴えや中身であり、本来オシャレ感はさほど重要ではないのだが、そうやって、人々の関心をどんどん広げ、集めていく効果があるのだから、オシャレでイカしている感じの印象があるということももしかしたら、ある程度重要なポイントのようにも思える。

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蜜陽のことへ話しを戻そうと思う。建設が開始され、山が削られているのが写真中央あたりにみえるだろうか。このような景色があちこちにみられるのが今の蜜陽の村だ。私たちは、コジョン村でのロウソク決起集会に参加する為に、コジョン村へ移動した。ピョンパッ村からコジョン村は、私が想像していたよりも少し距離があった。決起集会へ着くと、コジョン村以外の村から集まってきたハルモニハラボジや近隣地域、釜山などからの支援者で、盛り上がっていた。決起?結束?集会という名前だけみると少し勢いが強いものの様に聞こえるが実際はそうではない。集会が始まるまでは、どこか村のお祭り?いや、お花見大会の様な雰囲気があった。ハルモニたちが、チヂミやドジョウ汁、いろんな種類のナムルやマッコリなどを来た人々へ振る舞っていた。私たちもなんだかいきなり来たので少し申し訳なかったが、「遠慮せずに食べなさい!」というハルモニたちのお言葉に甘えて、美味しく沢山食べてしまった。とても美味しかったし、ありがたい。そんなお花見大会の様な雰囲気だったので、今までは賛成派反対派と人々が分かれていたけれど、賛成の立場の人も、お花見大会のような宴会には参加していたようだ。きっと、昔からこの小さな小さな村の人々の人と人のつながりは強かったはずだ。それが、送電塔建設を巡って、反対、賛成の立場に溝ができていってしまった。「公共事業」「多くの人々の為」という名の下、都市開発や原発建設、基地建設があちこちで進んでいく。なんだか、この構造にとても違和感を抱いてしまう。皆の為には誰かの生活を犠牲にせざる負えないのだろうか。「国の安全の為に」といわれ建設を進められる基地、「国家の経済発展と原発輸出の為に」と建設が進められる。だけど、そんなことの前に、人々の基本的な平和な生活は、国家と大企業の大きな力によって破壊されている。こんな現状が、果たして世界にはどれだけ存在するのだろうか。自分たちだけが良ければいいや、国全体の発展を!という考えの前に、なにか大切な基本的な部分を見落としてはいないだろうか。もし、自分がその立場だったらと想像すること、その「想像」はとても大切だと思う。

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これは、電気の自給率を地域ごとに比較した韓国の地図。キョンナム地域は、210%に対して、ソウルは3%である。この図は、高麗大学の「蜜陽のともだち達」というグループが作成と書いてあり、詳しい計算方法は分からないのだが、ソウルが一番電気を使っているのに、自給率は一番低いと言うことは分かる。これは、日本でも同じことが言えるのかもしれない。東京は、沢山電気を使っているが、東京で発電はあまりされていない。東京に原子力発電所もない。地方から大きな送電塔と変電所をいくつも使い、電気を使っているのだ。そして、私を含め多くの都市で生活する人々は、普段の生活が誰かの犠牲の上に成り立っているかもしれないということすら気付かないまま或は気付いていてもどうしようもないまま、日々を過ごしている。 どうすればよいかと考えた時に、一番いいのは、生活から変えていくということである。本来、自分の使う物食べるものは自分で自給できればそれが一番いい、だけれど、できないのであれば、少しずつでも生活を変えていく必要があると思う。例えば、電気をなるべく使わない生活をしたり、環境に優しいものを使ったり、よくないことを進めている企業の製品を不買運動したり…と何かしら自分の周りでできることをやっていくしかないのかもしれない。

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村にいいことがあるように、悪いことがでていくようにというお辞儀をしながらするお祈りの、お供え物を準備中。

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空もだんだん暗くなり始め、ロウソク集会が始まった。詩を朗読する人が数名いた。なんだか、緩やかだけれど、どこか真直ぐな強さがある集会だった。

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先ほどの、ぶたさんやお酒などをお供えに、村にいいことがおこるように、悪いものがでていくようにと、韓国のお辞儀をし、お祈りする。

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大学生達の団体の歌発表。ちなみに、このときの音響や照明の電気は自転車を漕いで発電する自転車発電で賄われていた。

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 代案学校(オルタナティブスクール)「ハジャ!」(やろう!)という学校の生徒達のサンバ発表。韓国には、代案学校といい、オルタナティブスクールがいくつか存在する。数年前に、急増したというニュースをどこかで聞いたのだが、詳しいことは忘れてしまった。私は日本のいわゆるオルタナティブスクールと分類される学校へ通っていたのだが、その時に、韓国のオルタナティブスクールと交流する機会があった。私はその選択授業が好きで、毎年履修していたのだが、ハジャ!という学校の学生に会ったのははじめてだった。しかし、なんだか同じ匂いがして、もしかしたら?と思い、通訳のいっぺいさんに助けてもらいながら、ぐちゃぐちゃな韓国語で話しかけてみた。やっぱりびっくり偶然。ずっと高校の時に交流していたサンマウル高校の学生から話しを聞いていて私のいた高校のことも知っているよという。そして、更に驚くことに、日本語がとても上手だった。もしかして、共通の友達がいるかもね?!誰知ってる?という話しをすると、またまたびっくり。お互い高校を卒業したけれど、今でもたまに連絡をとる友達が共通の友達だった!なんだか、世界は広いけどやっぱり狭い!なんて少し感動してしまった。こうやって、高校の時からの交流と、今回のコリアツアーが私の中でゆるくつながっていく感じがとても嬉しかったし不思議だった。日本でも韓国でも、市民の抵抗運動の場で出会う自分と同世代の若者は、オルタナティブスクール卒業だということがなんだかとても多い。もちろん、そういう学校だからとかではないと思うし、一般の学校で学んできた若者もいる。ただ、そうやって、自分の意思で運動の場へ足を運んだり、参加したり、なにか考えたりしている人が多いのは事実だと思う。もしかしたら、それは「教育」ととてもつながっているのではないだろうか。テスト、テスト、受験受験の学校を否定するつもりはない。だけど、型にはめられた様な学校生活のなかで、感じること、考えることなどの感性はどんどん押しつぶされていっているのが現状だろう。オルタナティブスクールにも様々な種類や特色はあるが、その多くがテストの点数や成績よりも、自分の頭で考えること、自分の言葉や何かで表現すること、人と共有し合うことをとても大切にしている。そういった環境の中で、「社会へ関心を持ったり、おかしいぞ。」と思う感覚も生まれるのだと思う。今回、偶然ハジャの学生に会えてとてもよかった。

 

 

あれこれ長く書いてしまったが、蜜陽のハルモニハラボジの闘いは、またはじまったばかりである。 次回は、古里・新古里原発のことを書くつもり。コリアツアーレポート、なんとか最終回へ近づいてきた。