読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

:::mido :::

考える。心の中をぶつぶつと整理。思ったことや感じたことを、撮りだめ、書き留めていく場所、伝える場所。

MENU

「指導」??

【日記】

引っ越しや卒業制作の提案書づくり、記事製作の課題、発表、テスト、と気がつけばもう四月〜。よくわからないけど時間が足りないし、ヘトヘトだし、何より度重なる教授からの課題書き直しやり直し命令に、もう学校のことも、お金のことも何もかもすべてわすれて、ぱぁーっとどこかにしばらく行ってしまいたい気分な今日この頃。ーーーーーーーーーーー
課題や提案書のある程度のやり直しや書き直しは、語学力の問題とかもあるからある程度仕方ないし、はじめからあるものだと思っているけれど、なんだかそういう問題ではなくやり直しや書き直しが命じられているようにも感じる。指導教員によっては、なぜ、書き直さないといけないのかが、本当によくわからないことが多々あるのだ。
例えば、一回目に指摘した内容と次に指摘する内容が根本からあまりにも異なっていたり、その異なっている原因を尋ねると態度が悪いと怒られたり、一度指摘された箇所を直し、もう一度送ると、「もう送らなくていいです。」と言われ、送らないと「なぜ送らないのか」と指摘され…。
態度や顔の表情で怒られることは、いまに始まったことではない。中学校の頃、「謙虚じゃない顔」「素直じゃない顔」と言われ、合唱部を一度クビになったのだけれど、顔や表情で態度の善し悪しを判断し「指導」する前に、その顔や表情になっている訳が何か少しでいいから、考えてくれれば良いのにと何度思っただろうか。態度や表情の基準は一体何で、ニコニコぺこぺこしていれば、それが心では全く異なることを思っていたり、偽りの謙虚な姿でも、問題ないのだろうか。
教員のいう事だけに従うのではなく、私は学生と討論したいと言われたので、自分の意見を言えば、「分かってない。」「主観的すぎる」「私の回りではそんなひとはいないからそれはちがう。」と言われ、「討論」「話し合い」は成り立たない。あぁ、いったいどうすればいいのだろうか。
学生の文章や作品をみて、原因や目的よりも、なにか一つ二つ指摘箇所をみつけることに重点を置き、指摘するのが「指導」のあり方なのだろうか。それは、なんだか違う気がするし、考えれば考えるほど、違和感を覚える。
多くの授業では、クラスのほとんどが下を向き、スマフォを滑々、教授はパソコンの画面を直視しパワーポイントに書いてある字を二時間読み続ける。見えない大きな壁が教室の中にあるみたいだ。もちろん、面白い授業をしている先生がいることは知っているし、実際に面白かった授業もあった。そういう授業では、スマフォ滑々の割合も減る。だけど、そんな授業に当たれることが稀だったりもする。そして、パワーポイント二時間読み上げ型教員に限って、課題や発表は多く、単位やテストの点数、評価を強調する傾向にあるようにみえる。この状況、なんだか非常に息苦しい…。この現状やこの現状が起こる構造は、一体なんなんだろうか…。
あぁ、後一年と少し。嫌なら行かなければいいってはなしだけど、残りあと一年、卒業制作はおもしろいものがきっとつくれそうだし、つくりたいから、ぼちぼち頑張るために、ここでぶつぶつ一言一息。笑 提案書もとりあえずひと段落着いたし、明日からまた一週間がんばろうっと。