読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

:::mido :::

考える。心の中をぶつぶつと整理。思ったことや感じたことを、撮りだめ、書き留めていく場所、伝える場所。

MENU

平和の海 国際交流キャンプin沖縄

【平和の海】 【ISSUE】
 
沖縄から、帰ってきてあっという間に、二週間経過。帰ってきてすぐから、空いている時間を使ってちまちま書いていた、「感じたこと、考えたこと、まだもやもやと考え中のこと、整理したこと整理しきれないこと、溢れてくるもの」を、難しいことは書けないけれど、思うままに書いておこう…。
 
9/19朝ゲート前
はじめに
8月上旬まで、お金もないし、学校も始まっているから、「行けない」いや、「行かない」と決めていた。けれど、突然参加を決めたカンジョン平和大行進の時、ひとつ翻訳を頼まれたことをきっかけに、なんだかんだ話しはどんどん進んでいき、「行かないと!」、いや「行きたい!行こう」と心に決め、台湾へ帰ってきた。帰ってきてから、自分ができる範囲ではあるけれど、人集めとカンパ集めの日々が始まった。2月のイベントのときのFacebookページ宣伝の効果や、緑色公民行動聯盟のミスターホンが多くの人に声をかけてくれたこともあって、最終的には16人の台湾からの参加者が集まった。協会以外からの学生達が沢山行くことを決めてくれたことが、とても嬉しかったし、通訳や翻訳の仕事や準備は時間がかかって大変だけれど、それでも参加者が一人でも増えたことは、関心を持つ人が少しずつ増えていっているように感じてとても嬉しかった。
 
準備
済州、韓国本土、台湾、沖縄、それに加えてハワイやインドネシアなどいろんな地域やいろんな言語の人が参加するということの楽しさの反面、と翻訳と通訳の仕事が多くて、始まる前から少しヘトヘト気味になってしまった。沖縄でのキャンプのスタッフが本当に少ないと言うことを聞いていたし、沖縄の人も、そして私も、台湾のみんなも、みんなそれぞれ忙しいし、この活動だけをやっている訳ではないから、できる事に上限があって、やれるものは全てやりたいしやれるのであれば更に深くやっていければ何よりだけれども、色んなことを平行しながら合間を縫って進めていくので、どうしても時間がギリギリになってしまう状況があった。来年の台湾での開催は、どうなるのか分からないけれど、早すぎるぐらい(笑)早め早めに動いて、準備していくべきだと強く思った。後は、人数の問題はとても大きいと思った。約60名近くの参加者を、数名のメンバーで運営していっている姿は、本当に「お疲れ様です。」の言葉以外見つからないほど、大変そうだった。みんなそれぞれ、これが本業ではないし、いろんな事の同時並行の上に成り立っているものだということを理解しながら、それぞれができる範囲でどれだけ上手くやっていけるか、またどれだけ動ける人を巻き込み、資金やカンパを集められるかが、来年台湾での開催する際の鍵だと思った。なにか大きな事が終わると、その疲れとやりきった感で、振り返る事を省いてしまいがちになるけれど、次につなげ、活かしていく為にも、良かった点、改善できる点をそれぞれ出し合って振り返っていくことが必要かなと思う。
通訳/翻訳
 「言葉」を異なる「言葉」へ訳すことの責任の重さと大変さをひしひしと感じた数ヶ月だった。特に、キャンプの数日間は、脳みそが爆発しそうだった。シンポジウムでは、台湾の歴史の話しなど難しい話しを、分かりやすく「日本語話者」の人に伝えなければならなかった。その為には、まず自分が話しを一番理解していなければ訳す事はできないし、私自身中国語で何となく意味は分かっていても日本語でどういうのかを知らない言葉があることや、台湾の歴史背景や出来事について予備知識がない人々へも分かるようにしなければいけないから本当に難しかった。沖縄や英語の通訳スタッフの人々の通訳のスムーズさと分かりやすさ、そして落ち着き(?)を見習いたいなと思った。キャンプの中で、きっと無意識のうちにだけれど、一度他の人の通訳と比べるようなことを言われた事があった。もちろん自分の実力の不足は十分分かっているけれど、それでも超が付くほど負けず嫌いの私は、正直腹が立ったし、自信を失った。でも、そうやって、はっきり言ってもらえることはあまりないから、ありがたかったりもした。
 それから、「分からない、どうしよう!」となると、私はイライラするか困ってアワアワしてしまうことがある。でも、それは余計に分からなくなるしいい事は一つもない。これから先、おそらく通訳として仕事をしていく予定はないけれど、通訳をする機会はきっと何度もあると思う。その時に、「通訳としての私」に必要なのは、もっともっと場を踏んで修行すること、そして何よりも、落ち着いて集中することだろう。反省点改善点がある反面、嬉しい事もあった。それは、言葉が分かる事で、新しい考えや新しい世界に出会えること、お互いに心を開きあう時間が短くなることだ。言葉が通じるということで、分かり合えるまでのハードルが少し低くなるような気がした。それから、言葉と言葉をつなぐことで、自分と相手だけではなくて、人と人をつなぐことができるんだなぁと今回のキャンプで改めて感じた。
 
自分は「何者」か?
 自分の中で、まだ整理が完成していないからか、どう言葉に表せばいいか分からないけれど、こういういろんな「国」や「言葉」の人が集まる場所で、何度も自分は「何者」なのかを考える事がある。私は、日本で生まれて日本で育った、国籍上は日本だ。だけど、韓国の人々と交流する機会が今まで沢山あったし、沢山の友達や家族のような人々がいる。さらに、今は台湾に住んでいる。台湾に来てからも、いろんな国から来た人々に出会った。
 「何人的考え方」というものはいつでもどこにでも勿論あって、「日本ではこう」「韓国ではこう」「台湾ではこう」という考え方をしてしまうときもある。だけれど、私の中でなにか物事を考える時や語る時、「日本人として」「韓国人として」「台湾人として」という考え方はあまり好きになれない。私は日本という国を代表している訳ではないし、なんだか「何人として」という考え方は、無意識のうちに、文化や言葉の差とは別に、「国と国」の境界線や差異を強調してしまう気がする。また、無意識のうちになにか「ナショナリズム的」な考えが付きまとってくるような気もするのだ。
 今回のキャンプを通して、改めて 「国と国」という考えや「国民」「何人として」という考えから一度離れて、「一人の人」として、「人と人」とのつながりをつくっていくことが大切なのではないかなと思った。私は「一人の人」として物事と向き合って考えて、自分の言葉で自分の考えや思いを語り表現していきたいなと改めて思った。
 
ぶつぶつと思うこと
 三歳の時、家族で沖縄へはじめて遊びに行った。小さかったからあまり覚えていないけれど、その時、沖縄にまた行きたいと思わなかった。なぜなら、「戦争の車がいっぱいで、うるさくてこわかったから」だ。それから、小さい時単純な気持ちで感じた気持ちは忘れ、自分の暮らしと「沖縄」は深く関連することなく、いつの間にか大きくなっていた。戦争も、基地も漠然と「嫌だ、いらない」という考えを持っていたけれど、実際に現地の人の話しを聞きに足を運ぶこと、ゲート前に立つことは、はじめてだった。「“闘うこと”と“生活”を両立することが大切」という話しを耳にすることがある。だけど、正直、私はそんなの嫌だ。辺野古の人たち、高江の人たち、それからカンジョン村の人たちも、そもそも、基地の建設がなければ、抗議運動をしなくていいはずで、「普通」に生活をおくることができるのに、闘わなければ自分の生活が奪われてしまう状況が、今そこにはある。目の前で起きていること自体が既に「平和」とはかけ離れたものなのではないかと感じた。「平和」とは、戦争をしないことだけではない。基地によって、その土地や自分たちの生活、次の世代の生活や環境を守る為に反対する人々は、抗議活動をせざるを得なくなる反面、目先の利益の優先してしまったりなにか違う理由で、基地を歓迎或は黙り込んでしまう人…「国家のため」という名目のもと、住人の関係は分断され犠牲を強いられていく、こんな状況は、ちっとも平和ではない。「戦後70年間の平和」何てものは、存在していないように思った。そして、このような状況は、沖縄だけでなくカンジョン村、ミリャン、原発のある街、いろんな地域や国のあちこちで、起きている。
 高校の時に、社会の時間で、「ガマ」のことを学んだ。その学んだガマの中へ入った。ただ単純に、怖くて気持ちわるくてジメジメして、私には耐えられないような場所だった。「死にたくない」「殺されたくない」「殺したくない」ということ。戦争が嫌だということは、只単純なことのような気がする。だから、いま日本のあちこちで、「戦争反対」という声が少しずつ大きくなっていき、あちこちで反安保のデモや集会が行われているのだろう。
 しかし、それと同時に今の日本の社会をみてみると、いつ起きるかわからない未来については「過去の過ちを繰り返してはならない」とか「守りたい、命」と声をあげられるのに、実際に原発事故という命を脅かす悲劇が起きているとき、そこには触れず、いつ起こるかわからない未来について述べられる言葉に、なんだか矛盾を感じてならない。
 
もやもやと考えること…
 予想外の出来事がおきた。警察が、過剰な弾圧をしていることはもちろん悪いのだけれど、私たちにも振り返るべき点がなかったのかをきちんと考えなければいけないと思う。逮捕者がでると、逮捕された本人はもちろん、周りも傷つく、仲間割れが始まることもある。なぜ止められなかったのか、止められたのではないのかと考えてしまう。だから、正直、誰が悪いとか誰のせい、「こういうひとは行くべきではない」とかそういうことではなくて、今後もいろんな抗議活動やデモの際にも同じことが起こりうる可能性があるからこそ、自分自身が逮捕されないようにすることはもちろんのこと、自分の身が、周りが気にかける状態であるような場合、そういう場へいくということがどういうリスクを持っているのか、考えなければならないと思った。権力に屈し、「権力側」が決めたルールの中で抗議行動を行うべきということの意味では決してないけれど、国や警察、「大きな権力を持つ側」がしていることは、理解することができない権力の乱用であり、正当ではないことは分かりきっているからこそ、おかしな事だらけな状態の中で、それよりも賢くならなければいけないのではないだろうか…と頭の中のもやもやがいつまでもすっきりしない。
何はともあれ、二人が無事韓国へ帰国できて、本当によかった!
 
最後に…(来年に向けて)
 正式に来年の台湾開催が決まった。どうなるのか、まださっぱり分からない。私自身、来年の6月には卒業しているし、台湾にいるのか日本にいるのか、もしくはどこにいるのか分からない。決まっていない。だけれど、「また会いましょう!」「台湾で会おう!」と別れ、また会いたい人がたくさんいるし、せっかく少しずつ台湾の学生達や活動家達が興味を持ち参加し始めてきた段階だからこそ、自分の時間が許す限り手伝えることは手伝いたいし、動きたいと思う。
 最後に2月のイベントと今回のキャンプから、来年の開催に向けて強く言える事は、とにかく「来年なんてあっという間!時間は本当にない!早め早めに動き出す!」「仕事分担をきちんと行う!」「活動費カンパ集めに力をいれる!」「引き継ぎ、各言語の尊重を!通訳翻訳を頑張る!」「引き継ぎ、菜食の人への配慮もしっかり!」ということかな。
ーーーーーー