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:::mido :::

考える。心の中をぶつぶつと整理。思ったことや感じたことを、撮りだめ、書き留めていく場所、伝える場所。

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「知らない方が幸せ」?

【日記】

 

ここ数年、都市から地方へ移住した人々が、いなか暮らしの「良さ」や「魅力」「丁寧な暮らし」を紹介するウェブメディアやブログが増えてきている。私は、それらを読むことや新しいサイトをあれこれ探すことが結構好きだ。


それぞれに特徴があり良さも悪さもありながらも、一つ一つの記事での言葉の使い方や表現、そしてデザインに強い魅力を感じることが幾度もあった。ビルや人、モノが溢れ、何か大きな波に呑み込まれてしまいそうな気にもなる中で過ごしていると、「そこへ行けばなにか違うものがあるのでは。」という希望や期待が湧いてきたりもする。これだけ、様々なウェブメディアができているということは、それなりに需要もあるはずで、そう考えるとこのような気持ちが生まれるのは、きっと私だけではないはずだ。


だけれど、読めば読むほど、心のどこかに何だか気になるものが生まれてきた。何かが、すぽっと抜けているような、或は遠くはなれている世界のような気がしてならなかったのだ。時に、そこは社会の出来事や問題とは遠くかけ離れた違う世界のように思えてくるのだ。


自然と共存し、都会とは異なる時間の流れの中で営まれる「丁寧な暮らし」を語られているものが多い。しかし、その「良い点」のみがあまりにも強く語られる姿勢に疑問を感じざるを得ない。悪い点や不便な点という点を語っているものも勿論あるが、それらは「買い物が不便」「交通が不便」「人口減少」「高齢化」等のように見受けられる。勿論、その地へ住む人々にとって、それは大きな問題や不便な点なのだろう。だが、時に「本質的なモノ」が抜けているように感じるのだ。「暮らしを考える」や「いなかの良さを伝える」などを謳っているウェブメディアの多くは、そのウェブメディアの運営だけでなく、行政や現地の企業や農家と協力し、移住やインターンなどの呼び込みを行っている。そして、そこの「良さ」のアピールが繰り広げられている。しかし、その土地の良さの裏に命を脅かすような物が存在する場合、そこには何か大きな矛盾が発生しているのではないだろうか。その地域の環境やそこでの暮らしを語る記事は、魅力的であるし実際に足を運びたくなる。実際に足を運べば、きっとインターネットを遠してだけでは得られないものに出会えるだろう。また、その地域にとってマイナスの記事を書くべきということではない。「命を脅かすもの」に目を向けているか、向き合えているかの問題だと思うのだ。


米軍基地や原子力発電所がすぐそばにあるのに、「それはまるで無かったこと」のように触れられることも無く、その地域の自然環境の豊かさや昔からの暮らし、土地の良さのみが語られていくことに私はどうしても疑問を抱いてしまう。 いくら、そこで「豊かな暮らし」を営んでいても、その近くに命(人間だけでなく、動物や植物、自然環境の命)を脅かすものがある場合、その暮らしはある日突然、崩壊してしまうと思うのだ。多くの人が、福島の原発事故を通して自ら学ぼうと思わずにも、学んだと思っていた。だけどそれは私の思い込みで、実際は多くの人が向き合うのを止め、「知らない方が幸せ」という選択肢を選んでいるのかもしれないと感じてしまう。私が、インターネットを通してそう思っていただけかと思ったが、実際に私がよくみているサイトの一つを運営する人々と会う機会がつい先日あった。抱いていた疑問を正直にぶつけた時に、「『知らない方が幸せ』っていうこともありますもんね。」と言葉が返ってきた時、私はなぜだか何とも言えない疲労感に襲われた。


確かに「知らない方が幸せかも」と思うことが今まで幾度もあった。私自身、人間関係などにおいて、知らない方が幸せだったかなと思うことはよくあることだ。しかし、命や健康を脅かすものに対してそれは通用しないのではないだろうか。


「知らない方が幸せ」という考えが広がっていけばいくほど、その言葉の裏で、知らないうちに私たちの命や健康、「これからを生きる」権利がどんどん踏みにじられ、奪われていくように思う。