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:::mido :::

考える。心の中をぶつぶつと整理。思ったことや感じたことを、撮りだめ、書き留めていく場所、伝える場所。

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「命の為の運動」が命を脅かすとき

【ISSUE】

7月31日(日曜日)大阪のとある場所で、いろんな労働組合や市民団体などが集まり分

科会や講演会、映画上映会を行うイベントが開催されていた。韓国や沖縄からもゲスト

が来て講演するという宣伝を見て、話しを聞きたかったので会場まで足を運んだ。

 

一日中ぎっしり詰まったイベントのスケジュールの中に、「区域外避難者の住まいの安

定を求める取り組み報告と交流」というものが目に入った。丁度その時間帯に、聞きた

い講演や参加したい分科会も無かったので、そこへ行ってみた。ちなみに「区域外避難

者」というのは、福島原発事故の強制避難区域以外からの避難者であり、いわゆる「自

主避難者」のことだ。その報告会兼交流会は、「区域外避難者(自主避難者)」への支

援として各行政が行ってきた「借り上げ住宅制度」や「公営住宅への優先入居」の継続

を求める運動の報告と今後の取り組みについてが主な内容であった。

 

おじさんが予め用意したレジュメを読み上げる方式の決して短いとは言えない活動報告

が終わり、今後の取り組みについての話しが始まった。「各行政に交渉してもムリ。だ

から、もっと福島県へ交渉へ行くべき。」「各団体はお金を工面してでも、だれか当事

者を行かせろ。」「京都は、毎回当事者を送っているが、大阪や神戸はなぜ居ないの

だ?次の交渉時こそは必ずなんとかしてくれ。」と決して丁寧とは言えない語気で京都

を中心に「避難者支援」の活動をしている男性が話した。

「一体どういうことだろうか。」そのとき、私はどう言葉に表してよいか分からない気

持ちになった。顔にすぐ感情がでてしまう私の顔はきっと酷いものだったはずだ。そも

そも「自主避難者」と言われている人々は、「危ない」と感じているから、そこでの生

活基盤や人間関係、思い出、、沢山のものを諦めて新しい地で生活をはじめたのだ。住

宅の支援の有無が避難者の家計に与える影響は大きい。だが、交渉の為に「だれか当事

者を行かせろ」というのは一体どういうことだろうか。

それらの疑問を投げつけた私に、中心で活動を行うおじさんたちと避難区域内から避難

してきたおばさんは言った。「人権とは自分の手で掴み取っていく物なのよ。私は、沖

縄の人と話す度に自分の運動の甘さに反省する。沖縄の女性は機動隊に殴られても高江

を守ろうとしている」「誰かが行かないと行けないんですよ。犠牲は覚悟で…」「行か

ないと分からないんですよ。」

これらの言葉、そして「多くの命の為に、誰かの命を犠牲にしてでも行かなければいけ

ない」という言葉を聞いた時、その根底には「犠牲的な精神」が存在しているようで、

強い違和感を覚えた。「東京に避難している○○さんは、先月やっと腰を上げて福島交渉

に参加した。」「食べ物気にしてないと、信用できないって怒られるんだよねぇ。」彼

らは意識しているのか或は無意識に話しているのか分からないけれど、「支援者」と名

乗り活動をする人々の言葉ひとつひとつに違和感を覚えた。「支援者」と名乗る人々

は、なぜその人々が補償や支援も皆無に等しい中、沢山のものを諦めてまで避難してい

るのかを考えているのだろうか。本当の意味で理解しているのだろうか。勿論様々な意

見があるだろうが、私自身は正直、彼らにとって、区域外避難者(自主避難者)は、社

会的な活動をしているということの「自己満足感」を満たす為の存在となっているよう

にしか思えなかった。

社会問題に関わる場で「勝つ方法は諦めないこと」という言葉をよく聞く。だが少なく

とも福島の原発事故に関わる問題において勝つ方法、それは「諦めずに福島県へ交渉に

行く」ことではないはずだ。安全アピールのもと安全だと考え住んでいる人々に「危険

だ」と言っても何も変わらないし、「危険だ」と主張しながら無防備に何度も現地へ交

渉に行く人々は、どっちの立場から見ても説得力がない。それだけでなく、自分の健康

を犠牲にし、放射性物質を自身や衣服、車両につけて帰ることにより放射能汚染を拡大

させてしまう。五年が過ぎ、国や県は帰還政策をますます進めている。マスコミで報道

されることも少なくなった。そして日本の多くの人々は、そもそも原発事故なんて無か

ったかのように過ごしている。日本に帰ってきて数ヶ月、ずっともやもやしたものが心

の中に存在していた。このような集まりにいけばこのもやもやした気持ちが少し変わる

だろうかと思ったが、私のもやもやは増すばかりだった。ただ私の中ではっきりしてい

るのは、私は「命の為」に命や健康を犠牲にしたくないし、それらに賛同できないとい

うこと。そして、この問題において一番大切なのは「徹底した被ばく回避を諦めずに行

うこと」ということだ。