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:::mido :::

考える。心の中をぶつぶつと整理。思ったことや感じたことを、撮りだめ、書き留めていく場所、伝える場所。

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「暮らしの再構築」(2)

【学ぶ旅】

「毎日更新!」を目標にしていたのに、新年早々、寝不足や寒さのせいか体調を崩し、更新を二日間も怠ってしまった。

というわけで、今日も昨年末の言葉たちの整理整頓…。

そして、この三連休で、ブログの未完成部分をなんとか弄って完成させたいものです。(いや、、、完成させます。)

 

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韓国から帰ってきて、もう二週間以上が経ってしまった。現地で毎晩(或は毎朝)、感じたことや学んだことを言葉にしていこうと意気込んで飛行機に乗ったはずなのに、着いてみると案の定四日間はあっという間に過ぎていき、結局なにも書かないまま帰りの飛行機に慌ただしく搭乗していた。帰りの飛行機の中では「あぁ今回も何も書かずに終わってしまった。家に着いたら必ず書こう」と決意したのに、日々の生活に追われ結局2、3週間経ってしまった。


そのことの大きな原因の一つは、自分の意志の弱さかもしれない。ただ、敢えて言い訳をするのであれば、一度に大量の多様な内容と言語、そして多様な生き方の人々に触れたことと、それから現在いる場所との差、この二つによって生じる「消化不良」だったのだ。


人と交わした言葉を通してや自分が放つ言葉を受け取る人の様子から、或は聞いているだけの立場など、、、私はその場その時で、多くのことを感じ、考える。また、それらを言葉にしたいと思っている。でも、それらを言葉にするスピードは決して速く無いと思う。


以前、大手新聞社のインターンに参加したときに「記事を書き、現役記者に添削してもらう」というプログラムがあった。一時間の制限時間の中で、私はその日の取材対象である講演者が話した言葉の一つ一つの意味であったり、表情、そしてその空間から生まれる雰囲気の意味を考えていた。そんなこんなで、記事の完成は制限時間ギリギリになってしまった。インターンに来ていた学生たちの書くスピードは、まるで予めその講演を何度も聞いていたのではないかというぐらい、とにかくはやかった。添削時間になり、グループごとに互いの文を見ながら、現役の記者がコメントをくれた。私の記事に返された言葉は「インパクトと新鮮さ、面白みはある。でも新聞記事ではない。」という言葉だった。この評価が良いことなのか悪いことなのかは分からない。ただ、同じグループで「一番新聞記事としてのと出来がいい」という言葉をもらっていた学生のものと比べるとその言葉の意味がなんだか分かった気がした。


それからは、素早く言葉にすることが大切であり、その練習の為には写真等とともに短かな文章でSNSに投稿することが、大切なのかもしれないと思っていた。また、その言葉たちの中に自分の視点や感じたことは不必要であるから、入れてはいけないと意識した。

だが実際には、意識的にやっていこうと思いながら、試していく過程で、それが自分の心にあまりしっくりとこないこと、また何よりもそれを自分自身が楽しめていないことに薄々気がつきはじめた。


今回の旅のメインであった「青年カンファレンス」のテーマは、 삶의 재구성 、日本語に訳すと“暮らしの再構築”、“人生の再構築”だ。この漠然としたテーマを中心に進められる多様なプログラムに参加したり、様々な生き方をする人々との出会いと彼らの間の「言葉」をつなぐ日々だった。


その数日間と帰ってきてからもやもやと考える日々から、気がついたことがある。それは、私は早さや量よりも、その言葉や場にある深い意味を探りたいということ。感じたことや考えたことをより豊かに表現していきたいということだ。数ヶ月前は、ある「ゴール」に辿り着けなかった自分が情けなく、みっともなく悔しかった。そして、なんて無駄なお金を使い、無駄な時間を過ごしてきたのだと自分を責め続けた。だが、この過程がなければ気付けなかったことや学べなかったことは沢山ある。また何よりも、一生誰かやなにかに囚われた人生を歩もうとしていたかもしれない。


生きるということにゴールはなく、目指したいもの、目指していくものというのは、その時その時の周りの環境や人との出会いによって変化しつづけるものなのかもしれない。


2016年が終わりを迎えようとしている中で、ふとそんな言葉が心の中に浮かんできた。

 

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