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台湾で大学卒業後、韓国で働きます。美味しいものから言葉や社会のことなどをソウルからお届け!時々、台湾情報も!

再見!台中,アンニョン!ソウル(韓国行きを決めるまでのこと)

こんにちは。本日二度目の投稿になってしまいました!出発の日が、着々と近づいているので荷物の準備等をもっとやらなければいけないはず…なのですが、どうしてもこの記事を書かないと、心がすっきりしなくて、今日1日ぐるぐると文章を書き続けていました。

私は、昨年6月に台湾で大学を卒業し、来月(正確には今月末)からワーキングホリデービザを取得し韓国での生活をはじめるのですが、それを決めるまでは決してスムーズな過程ではありませんでした。グルグルと悩み続けた日々のことは、先日の投稿に書いたのですが、今回は「韓国行きを決めるまで」と「台湾台中とのお別れ(?)」について書こうと思います。色々書きたいことはあるのですが、特に、韓国でやりたいことやまなびたいことについても後々書いていきたいです。

前回の記事は、こちらですので合わせて読んでいただければと思います。

momomo.hatenablog.jp

 

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(ボケボケですが先日台湾に戻った際に。もう少し良い写真を撮るべきでした…苦笑)

「台湾で就職しないんですか。」

「台湾で就職しないんですか。」、「台湾で発展していけば良いのに…」大学の卒業が近づいてきた頃から今まで、色んな場所で色んな人から何度も質問された。私は、一時期この質問がとても嫌だった。もちろん、言葉も不自由が無い程度にはできるし、知り合いや友人も多くいる。台湾に住むことが嫌な訳ではなかった。特に、日本のように皆が真っ黒のリクルートスーツを着て、同じ時期に就職先を探すというような就職活動がないことは、大学卒業直後日本で就職活動を少しだけ行っていた私にとって、羨ましく思えたことであるし、「非母語」の中で生きる日々は、今の日本社会で生きるよりもいろんな意味で楽なことが多かった。だからこそ、そう聞かれる度に相手はそう言う意味で言っている訳ではなくても、心のどこかで「台湾にいた方が良いということなのだろうか…帰ろうかな…帰った方がいいのかな」と考えてしまったのかもしれない。 

自分は一体何がしたいのか?夢は何か?を問い続けた。

進路に悩み続けた日々の中で、何度も自分の夢は何か?自分は何をやりたいのか?を考え、自分自身に問い続けた。「やりたいこと」や「なりたい姿」は、日常的に度々イメージするけれど、やっぱりこの歳になってまじまじと「自分の夢ってなんだろう」というようなことを考えるのは我ながら恥ずかしかったりもした。それでも何度も紙にやりたいことを書いたり、思いつくことを書いてみた。そして、いつも最終的に辿り着いたのは、「言葉や文化的な交流を通して、東アジアの人々をつなぐこと。」「人々の心に生命と平和の種を蒔いていく」ということだった。

また、私は一人一人が自分の「存在価値」を「企業」や「何かの肩書き」ではなく、自分自身に見出すことができる社会こそ、今後私たちが向かっていくべき社会の方向だと考えている。そのような社会の実現のために、日中韓の言葉を生かしながら、市民団体や社会的企業の国際交流の現場において、東アジア各地の団体や人々をつなぐ役割に携わりたいとも思っている。 それから、いつになるか分からないけれど、自分の関心のある分野である、代替教育(オルタナティブ教育)や若者支援、多様な生き方を実践する人々などを取材したり、それに関連する本の翻訳/執筆にも携わりたい。

それらの為には、もっと多くの人に出会う必要があるし、もっと多くのことを学び考える必要がある。それから、更に技術を磨き経験を積み重ねていかなければならない。そして何よりも、私がこれから「やりたい!しよう!」と思っていることは、「ある程度、その場所のことを知っていて、そこに行くことを選べば当分の間は、安定した未来が確約されている」という状況よりも、新しい出会いや環境、学びが必要であり、もっと世界を広げることで、可能性は更に広がるはずだと思った。もちろん、いつ何が起こるか分からない時代に、このようなことを考えるのは無意味かもしれないが、それでも私にとって、台湾で就職することは、どちらかというと「先が予想できる未来」を選ぶ道であった。だからこそ、私は台湾で就職することや台湾を拠点に発展していくことを選択しなかった。  

もっと知りたい場所であり、関わりを持ち続けたかった人々がいる場所 

元々、高校の頃から韓国の学校と交流をしたり、韓国語を勉強していたこともあり、大学に入ってからも旅行やスタディツアー、キャンプ等で年に一、二回ぐらいのペースで韓国を訪れていた。自然と韓国に友人や知り合いが増え、韓国語を学ぶ意欲があがり上達していった。また、「素敵な生き方だな」「面白い理念だな」と思う人や取組に沢山出会った。(このことについては、追って深く取り上げたいと思います。)それは、日本や台湾で「報道」されたり、認識され話されているものとは異なるものだった。だからこそ、もっとこの土地や言葉のことを学びたいし、魅力的な人々から多くのことを学びたいと思うようになった。そうしているうちに、いつしか心は「韓国に行きたい」と強く思うようになっていった。

だけど、韓国で大学を卒業した訳でもないし、韓国国内での就職難と言われている今、韓国で就職しビザを貰うというのは現実的では無かった。だから、まず韓国に行く一つの方法として、ワーキングホリデーや大学院に行くことを考えた。しかし、多額の学費を捻出する余裕はなく、国費奨学生の選抜では惜しくも望んでいた結果を得られなかった。また、心の中はどちらかというと、学生に戻るより働きたいという気持の方が大きかった。だけれど、働き先があるか分からない、先が余りにも不透明なまま「ワーキングホリデービザ」を使い、1年間韓国で「フリーター生活」を送るのも嫌だったし、その勇気が私にはなかった。

そんなことに悩んでいたちょうどその頃、学生の頃から知り合いの市民メディアからお誘いの話しをいただいた。(どんな場所なのか。どんな仕事なのかは後々書きたいと思います。)市民メディアなので、給料は多くないし、ビザの発給は難しくワーキングホリデービザでいくことになる。その後の更新ができるかどうかも分からない…。だけれど、私は可能性が広がりそう!何だか面白そう!と直感で感じたし、この悩んでいたタイミングでこの話しがくるということは、一度勇気を出して流れに乗ってみるのもいいかもしれないと思い、ワーキングホリデービザをとって韓国へ行くことを決断した。 

いろんなことはつながっている

決断してからは、色々なことの準備に忙しく時が過ぎていった。先日、台湾へ少しだけ戻り、荷物の整理をしてきた。一年間、進路に迷いながら過ごしてきた私にとって、「台湾」はある意味「いつでも帰れる実家」のような場所だった。それは家族がまだ住んでいるということも大きく関係しているけれど、決してそれだけではなく、約四年半という時間で経験したことや出会った人々は、私に大きな影響を与えたし、そこは私にとって「居心地のいい場所」になっていた。進路について勇気を出せず、決断をできずにいたとき、「いつでも帰れる場所」が欲しかった。日本に「実家」というような場所がもうない私にとって、それが台湾台中の住んでいた家であった。そのため台湾の生活と荷物を綺麗に片付けることができず、約1年が過ぎた。だけれど、「いつでも帰れる場所」をいくつも置いておくことは、最終的にはどっちつかずで中途半端になってしまう気がした。だから、新しい場所での生活を始める前に、きちんと一つ一つを整理することにした。荷物を整理しに戻った時も、整理が終わって空港から日本へ帰国するとき、またすぐに来るような気がしたし、新しい生活へのワクワク感は大きいけれど、いつもとはどこか少し違う気がして、すこし寂しかった。

荷物は整理したけれど、台湾の人々の関係が全てなくなる訳ではない。台湾の人々との関係はこれからも続くし、これからも大切にしていきたい。なぜなら、台湾での経験や出会いから、私は沢山のことを学んだし、様々な刺激と気付きを得た。「中国語」という一つの言語を出来るようになったということも重要な点であるが、それ以上に視野・観点が広がった。高校生の時は、「韓国と日本」という二つの場所から、アジアの社会や人々を考えようとしていたが、「台湾」という場所からの視点を知ったことで、私の目から見える世界はより複雑になり、より面白く魅力的になった。

また、韓国で暮らしてみたいと思うきっかけになった人々に出会えたことや、今回韓国でのお話しを頂けたことも、台湾での生活と経験があってこそのものだと思っている。生きていると、自分の思うようにいかずに悔しいことや腹が立つことも多いし、理不尽なことや悲しいことも多いけれど、それでも楽しいことや嬉しいことが沢山あるし、いろんなことがつながっているようで、やっぱり「生きるって面白い」と思った。

今まで、大学在学時代に台湾でお世話になった人々には、今後仕事の関係などでも、お世話になることが多くあると思う。また、これから更に台湾の人々と仕事をする機会が多くなれば面白いし嬉しい。そして、これからも「里帰り」するように、時々台湾に足を運びたい。ということで、再見,台湾、再見、台中。そして、アンニョンソウル!(本当は、中国語でも書きたいのだけれど、今日は頭脳エネルギーを使い果たしてしまったので、また後日にしようと思う。)

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